第79回広島平和集会

令和6年(2024年)7月13日開催

あいよかけよで共に生きる -祈りと誓いの広島平和集会-
-祈りと誓いの広島平和集会-

去る7月13日、原子爆弾投下から79年目を迎えるにあたり、原爆供養塔前にて慰霊祭を厳かに執り行いました。

式典では、はじめに犠牲となられた方々のみ霊さまへ黙祷を捧げたのち、がくの音を静かに、そして壮大に奏で、鎮魂の想いをお供えいたしました。続いて参列者一人ひとりが真心をこめた玉串を奉奠し、深い哀悼の意を表しました。

今回の集会では、「お水・折鶴・御玉串」をお供えいただいた皆様に心より感謝申し上げます。慰霊典楽大合奏による音楽の調べに乗せて、平和への祈りを世界に向けて発信いたしました。

当日は世代や国籍を超えた多くの皆さまにご参列いただき、平和への「祈りと誓い」を共有する温かな集いとなりました。ご参加くださった皆さまのご協力のもと、無事に執り行えましたことを心より御礼申し上げます。

今後も、悲劇を風化させることなく、平和への想いを次世代へと受け継いでまいります。

集会の記録映像

第79回広島平和集会の様子をご覧いただけます

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メッセージ・挨拶

広島市長からのメッセージ

「第79回金光教広島平和集会」が開催されるに当たり、メッセージをお送りいたします。

79年前、広島に投下された一発の原子爆弾によって、街は一瞬にして破壊し尽くされ、多くの尊い命が奪われました。そして、辛うじて生き残った人々も、心身に悪影響を及ぼす放射線により、今なお生活面で様々な苦しみを抱えています。

昨年5月のG7広島サミットでは、各国首脳の平和記念資料館視察や被爆者との対話が実現し、こうした被爆の実相に直接触れていただいた上で、それぞれの平和への思いを芳名録に残されました。また、慰霊碑参拝の際には、私から直接、各国首脳に碑文について説明する機会があり、碑文に込められた思い、すなわち、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和を祈念する「ヒロシマの心」をしっかりと受け止めていただいたところです。

しかしながら、現下の世界情勢をみると、ウクライナでの戦争は長期化し、中東情勢は混迷を極め、罪のない多くの市民が犠牲になっています。また、多くの為政者が核抑止力拡大の必要性を謳い、世論もそれに理解を示す傾向が見られるなど、これまで長年被爆地が訴え続けてきた平和への願いに逆行するような事態が続いています。

令和6年7月13日
広島市長 松井一實

教務総長挨拶

第79回金光教「広島平和集会」にあたり、メッセージをお伝えいたします。

本日は、原爆死没者慰霊祭が仕えられます。本年は御霊地(岡山県・浅口市・金光教本部)からではありますが、ご参拝の皆様とともに、先の戦争や、広島に投下された原子爆弾によりお亡くなりになられた御霊様方の助かり、立ち行きをご祈念させていただきます。

また、今回は慰霊の祈りを込めて慰霊典楽大合奏が行われます。音楽は国境を越えると言われており、ここ広島から平和への祈りが楽の調べに乗って、世界中に広がっていくことを願わせていただきます。

このたびの集会のテーマにあります「あいよかけよ」とは、金光教の信心による世界観を述べた言葉です。私たちは自分一人で存在しているのではありませんから、問題の解決も自分一人が助かれば良いということではありません。関わるものすべてが神様と共に助かっていく、すべての関係性を大切にしながら解決を願っていく、そういう言葉です。

四代金光様は「世話になるすべてに礼をいふこころ、平和生み出すこころといはん」とのお歌をお詠みになり、「あいよかけよ」ということをわかりやすく表現しておられると思います。「世話になるすべてに礼を言う」関係とは、神様と人、人と人、さらには人と物の関係に至るまで、互いに感謝の心を持って向き合うことです。

令和6年7月13日
金光教教務総長 橋本美智雄

実行委員長挨拶

本日、あの79年前と同じ空の下、天地金乃神様のお広前で、慰霊祭、そして慰霊の大合奏のお供えが出来ましたこと、とても、ありがたく思います。

広島は1945年の夏に被爆し、その年の秋には、第1回目の原爆死没者慰霊祭が金光教で仕えられ、以後毎年、金光様のお取次ぎをいただきながら、慰霊祭が仕えられてまいりました。近年は「あいよかけよで共に生きる」を主題とし、過去の出来事を忘れずに未来に伝える、という目的で、「被爆のどん底から・原爆死没者慰霊祭・合唱」という、過去・現在・未来の3部構成で金光教広島平和集会が開催されてきました。

今年は「祈りと誓いの広島平和集会」を副題とし、この供養塔前で慰霊祭を仕えた後に、典楽による慰霊の大合奏で亡くなられたみ霊様に向かわせていただくという願いを、金光さまにお届けしました。

79年前の朝、一発の原子爆弾がこの広島市上空で爆発し、この街は瞬時に焦土と化し、沢山の方々が亡くなられ、また生き延びられた方々も、身体や心に沢山の傷を負われました。この原爆供養塔には、今でもまだ名前や身元が分からない、約7万人の遺骨が納められております。

世界真の平和の実現を目指す我々本教の信奉者は、それでも、被爆の悲しみを希望に変えて、争いの無い世の中を具現化していく為の祈りを続けていかなければなりません。

令和6年7月13日
第79回金光教広島平和集会実行委員長 佐藤正嗣

原爆死没者慰霊祭祭詞

是の緑豊かな広島平和記念公園の原爆供養塔の御前を、第七十九回金光教広島平和集会の祭りの場として、畏き生神金光大神御取次の任、原爆死没者御霊神名簿を奉安し、更に昭和二十年以降、原子爆弾の、かかわりにより身退りし霊神等の御前に、金光教教師、島本悦雄、謹み敬ひも白さく。

阿波礼、顧みすれば、昭和二十年はし、如何に悪しき年なりしか。なかでも人類最大の悲劇なる、八月六日午前八時十五分、是の広島市の上空、約六百メートルにて炸裂せし原子爆弾、そが強烈な熱線から逃がるる道なく、避ける術なく、連なるいらかは、炎に包まれ、数多の、かけがえもなき命を奪ひ去りぬ。

更に、燃えさかる炎から、生き残りし人々も、全身に火傷を負ひ、或るは「水をくれ、水をくれ」と誰れ彼れとなく、請ひすがり、或るは、暑さに耐え兼ね、池や川に飛び込み、或るは、ただ茫然と焼け野が原に、たたずむさまなり。

なおかつ、その当時の様を伝へるものとして、建物疎開に駆り出されし、入学、間もなき、中学一年の少年少女、八千名、作業が始まりし、直後のこと、ある中学校の日誌に、「八月六日、多くは失明状態で昏倒、ないしは新大橋に向かい、水を求めて移動、河中に飛び込む。到底助からないと悟った、本校学徒は、天皇陛下万歳を三唱し、君が代を静かに歌いつつ瞑目せり」と生々しく記されてあり。

斯くて、教祖生神金光大神様はし、「天地の間に住む人間は神の氏子」「天が下に他人と云う事はなきものぞ」と教え諭し、明治の始め「世が開けるというけれども、開けるのではなし、めげるのぞ」と戒められ、そが、み教えは、歴代金光様に受け継ぎあらわされ、そが願ひを受けて、今年はも集会テーマに「あいよかけよで共に生きる」「祈りと誓いの広島平和集会」と掲げ、取り組みてあれど。